ドイツ政局混迷:大連立? ジャマイカ? 信号機?
ドイツの政局は、中央ヨーロッパ時間20日現在、混迷が続いている。すなわち、連邦首相を選出するのに必要な議会の過半数を有する勢力が形成される見込みが、まったく立っていない。
当初は、第一勢力であるキリスト教民主同盟(CDU)・キリスト教社会同盟(CSU)と第二勢力社会民主党(SPD)の「大連立(große Koalition)」が有力と見られていたが、首相の座を巡って両勢力の間に大きな確執が生まれており、「ジャマイカ連立」や「信号機連立」が取り沙汰されている。しかし、いずれの選択肢も構造的な問題を抱えており、少数内閣の可能性や、最悪の場合再選挙の可能性もあり(連邦議会の首相選出投票の3回目で過半数をとる者がいなかった場合には、連邦大統領は、少数内閣首相を任命するか、議会を解散することになる)、まったく予断を許さない状況にある。
選挙では、連邦議会(Bundestag)内で会派を組むCDU/CSUが35.2パーセントを取り、第一勢力となった。このため、CDU/CSUとしては、統一連邦首相候補のアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)女史の首相就任を前提として連立交渉を進められると思っていた。
しかしながら、SPD側は、SPDが第一党であると主張し、同党のゲアハルト・シュレーダー首相が引き続き首相の座にとどまるべきであると主張し、この点でCDU/CSUとSPDの意見が決定的に異なることとなった。この問題が解決しない限り、大連立が実現することはない。
この問題を理解するには、「政党(Partei)」と「会派(Fraktion)」の違いを理解する必要がある。「政党」とは、要するに政治結社であり、社会の中で政治的に利益関心の方向性を同じくする人々が集う組織である。つまり、連邦議会に議員がそこから出るかどうかには関係なく、政党という組織は存在する。実際に、連邦議会に議員のいない政党もたくさんある(州選挙や市町村の選挙などで大きな影響力を持つ)。
これに対し、「会派」とは、選挙により選出された議員の議会内での集まりである。論理的に、議員がいない限り会派は組織できない。もちろん、基本的には同じ政党から出た議員が議会内で会派を組織するわけであるが、理論的には、政党と会派は別物である。
CDUとCSUは、政党としては別の組織であり、CSUはバイエルン州にのみ存在する政治結社であるのに対し、CDUは、その他の15州に存在する政治結社である。しかし、CDUとCSUは、連邦議会内では会派を組むことになっており、選挙運動でも密接な協力関係にある。つまり、CDUとCSUは、政党としては二つであり、会派としては一つである。
SPDが突いているのは、まさにこの点である。CDUとCSUは飽くまでも異なる「政党」であり、CDUは第二党(27.8パーセント)であり、CSUに至っては最弱の第六党(7.4パーセント)に過ぎない。したがって、第一党はSPD(34.3パーセント)であって、シュレーダー氏が首相が就任するのが当然だと主張するのである。
したがって、現在のところ、CDU/CSUとSPDの間で妥協が成立することは困難であり、大連立とは異なる連立の可能性が模索されている。
一つの有力な選択肢は、「ジャマイカ連立(Jamaika-Koalition)」であり、CDU/CSU(黒)・自由民主党(FDP、黄)・緑の党の三党連立である。これは、黒・黄・緑によって構成されるジャマイカの国旗に因むネーミングで、この2、3日の間に急に人口に膾炙した。
もう一つの有力な選択肢は、SPD(赤)・FDP(黄)・緑の党の「信号機連立(Ampelkoalition)」である。
しかし、FDPと緑の党は互いに連立を組むことを強硬に拒んでおり、いずれの可能性も現在のところ困難と見られている。
数合わせ的には、今回の選挙の台風の目となり、第四党に躍進した左派政党(Linkspartei)がキャスティングボードを握りそうなものであるが(CDU/CSU・FDP連合にしても、SPD・緑の党連合にしても、左派政党を加えれば過半数となる)、左派政党の主張は極端に過ぎ(多くの政治家により「共産主義者ども(Kommunisten)」と罵倒されている)、どこの政党も左派政党と連立を組みたがっていない。
結局のところ、どの連立もまったく実現の見込みが立っていない。
状況を難しくしているのは、候補者の急死により2週間後に延期されたドレースデン1区の選挙であり、CDU/CSUとSPDの議席数が現在のところ3議席しか離れていないために、この選挙の結果が大きな政治的な意味を持つ可能性もある(もっとも、数字的に見る限り、連立の組み方を左右するほどの意味はない)。
つまり、特にSPDにとっては、ここで負けるとCDU/CSUに対して圧倒的な劣勢に立つことになるので、いま政治的な無節操さを見せるわけにはいかない(CDU/CSUの主導の下にCDU/CSUと連立を組めば、SPDの多くの公約は実現できなくなるので、政治理念よりも政治権力を重視したことになり、政治的に無節操である)。しかも、シュレーダー首相は、ここで首相の座に残れない限りは政治生命を実質的に終えることになる可能性もある。このような背景から、SPDのシュレーダー首相は、絶対にシュレーダー首相の下に連立を実現させるのである(つまり、メルケル首相の下でSPDが連立を組むことはない)と主張している。
要するに、各党とも、従来の路線にきわめて忠実な主張を続けているのであり、政治的な一貫性として評価できよう。しかしながら、国民は、いつまで経っても多数派が形成されずドイツの政治が麻痺状態になる、あるいは、最悪の場合再選挙になる、などという状況も期待していない。
とはいえ、選挙前の各党のマニフェストが余りにも異なりすぎ、政治理念を犠牲にして多数派を形成する場合には、マニフェストがかなりの程度反故とならざるを得ない。また、政策理念の異なる政党同士で無理矢理連立を組んでも、結局のところ大胆な改革政策は打ち出せない。有権者はそのような状況も望んでいない。
政策により政党を選挙するという政策選挙は、選挙のあり方として一つの理想である。しかし、このような政策選挙には、大きな陥穽もある。すなわち、政党間の妥協が必要となった場合に、妥協が困難となるのである。まさにそのような陥穽に、ドイツの政治ははまってしまったわけである。与党の大勝により大規模な改革を行う期待が高まり、選挙後に日経平均が上昇している日本を横目に見ながら、ドイツの政治は混迷を続けている。