欧州委員会がガストン・トルン氏の逝去に哀悼の意

© European Community, 2007
【26日付・27日欧州委員会発表】欧州委員会は、哀悼の意をもって、1981年から1985年にかけて欧州委員会委員長をつとめたガストン・トルン(Gaston Thorn)氏の悲報に接した。トルン氏は情熱的な欧州人であり、困難な時期に委員長をつとめたにもかかわらず、とりわけ、のちに(欧州連合の物・資本・サービス・人が自由に流通する)単一市場を創出することとなるものの基盤を準備することによって、欧州統合計画に対する信頼を強化することに成功した。
欧州委員会のジョセ・マヌエル・バローゾ委員長は、「ガストン・トルン氏の逝去の報は、欧州委員会の悲しみとするところである。欧州委員会と私個人の名において、ご家族とルクセンブルク国民に弔意を申し上げる。ガストン・トルン氏は偉大なヨーロッパ人であり、欧州の協力というのは、当時の問題のみならず、21世紀の問題にも同様に取り組む唯一の道であることをご存知だった。トルン氏の欧州委員会委員長としてのお仕事は、欧州統合計画の基盤を強化し、統合の新たな道を切り開くものだった」と述べた。
ルクセンブルク国民でもある欧州委員会のヴィヴィアンヌ・レーディング委員(情報社会・メディア担当)は、「ルクセンブルクの閣僚としても、国連総会議長としても、欧州委員会の首班としても、ガストン・トルン氏は、ヨーロッパというものを舞台の前面に引き戻すために、自らの弁舌の才や国際的な名声を用いた。ヨーロッパのほうもそれを切望していた。当時は、『欧州動脈硬化症』(eurosclérose)や、欧州人の共通の運命に対する懐疑主義が蔓延する難しい時代であった」と述べた。
ガストン・トルン氏は、1981年から1985年にかけて欧州委員会委員長をつとめた。任期中、EU拡大によりギリシャが加盟し(1981年)、加盟国は10か国となった。ギリシャの加盟や、スペインとポルトガルへの拡大(1986年)の準備は、ヨーロッパというものに一つの使命を再び与えることとなった。その使命とは、かつての軍事独裁諸国を民主主義の家に再統合し、南欧の法・正義・権利と自由を強化することであった。
トルン氏が直面したのは、失業の増加に特徴付けられる困難な時代であり、「欧州動脈硬化症」の語の起源もこの時期に遡る。トルン氏は、持ち前の情熱と第六感をもって、欧州への信頼を回復することに貢献した。それは、とりわけ、単一市場の創出を達成した単一欧州議定書(1986年)の署名に向けた基盤づくりをおこなったことによってである。
トルン氏は、欧州の知識とイノヴェーションを発展させるために共同してリソースを投入する必要性を認識し、最初の研究開発枠組プログラム(1984年)の創設を監督した。
トルン氏は、欧州委員会委員長就任前、1974年から1979年にかけてルクセンブルク首相をつとめた。欧州議会議員もつとめた。享年78歳。
"La Commission exprime sa tristesse à l'occasion du décès de Gaston Thorn" (IP/07/1255),
http://europa.eu/rapid/,
© European Communities, 1995-2007.
Japanese translation: © Oushu Keizai Shimbun (Europäische Wirtschaftszeitung) GmbH, 2007.
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原文フランス語、
『La Commission exprime sa tristesse à l'occasion du décès de Gaston Thorn』(IP/07/1255)、
http://europa.eu/rapid/、
© European Communities, 1995-2007.
和訳:© Oushu Keizai Shimbun (Europäische Wirtschaftszeitung) GmbH, 2007.
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